2008年8月15日金曜日

書いてみたら?

最近は精神世界や成功哲学の本や情報がメジャーになり、オーラという言葉も一般に使われるようになった。いろいろニッキ的なブログを数年やってきて、ひょんな事から友人が「一度考えをブログに書いてまとめてみたら?」という話になった。僕は僕が独特の文章や考え、理論を持ち合わせている訳でもなく、いわば本やインターネットで見聞きしているものをなるほどねと言って読んでいる一般的な読者であったから、自分の文章を書いてまとめていくという発想はほとんどなかった。

まあ、別段、このブログが大人気となって影響力が出るということもなさそうだから、一度チャレンジして見ようかという簡単な動機と、何かを残していきたいなという淡い願望から、このブログはスタートする。

書いてみたら?と言われて書いているような状態で、Assertion : Scenerys viewというタイトルもおかしな話だが、一つ一つ考えを書き起こしてみたいと思う。

今日はちょうど終戦記念日。

僕はまったく戦争を知らない。関心も高い方ではないから持つ知識も一般教養レベルもあるか疑わしいが、あの戦争がなぜ起こり、そしてどのように総括され、今後に何を教訓としていくべきなのかを明確に知らない。もちろん戦争はおこなうべきではない。
勝者と敗者が生まれると、そこに禍根が残り、次の戦いへの種が生まれる。犠牲が出て、悔しさやむなしさがパワーを持つ。
平和が一番ということは誰もが、きっとあの戦争の時代にも人のこゝろのどこかの位置にある感情であるように思う。
愛する家族のためと、国、ふるさとのために、平和を守るというために戦いが起こる。
国と国が戦う、テロリズムと戦う、武力行使には正義と大義が必ずセットされている。
しかし、正義は人の数ほどあるから、正義が「正しい」ということだけでは、特に今後の価値観として希薄に感じる。

とはいえ、明確な指針的価値観を持ち合わせていないから、答えをにぎっていないから、
考えていかないといけないのだと思う。

このテーマについての考察は別の機会に、資料とともにまとめてみたい。
今日は、あの戦いでなくなった魂たちに、役割や政治的な意図、または意義を一旦横におき、ただ純粋にその魂が確かに存在したという事を認識してあげる一日にしたいと思う。存在を認めてあげることと、意義、意味を考察することは次元を分けて考えた方がいいとも感じる。

終戦記念日の正午はそんな思いで黙祷を捧げたい。