2009年12月24日木曜日

何やらモントリオールからメールが来た

ツイッターやら、ファイスブックやら、
マイスペースやら、コミュニティ関連のいろいろを試すようになってから、
ついぞ未だに、すべて使いこなした感はなく

結局ツイッターとこのブログが継続出来ているが、

先ほどカナダのモントリオールのバンド歌手なる方からメールが届いた。
マイスペースからだ。

翻訳ソフトで記入しているから、日本語がおかしかったら私は悲しいがと直訳気味のテキスト。
しかし、何やら偶然僕のアイコン写真を見つけて、あなたは海の近くであるか?それはとても素晴らしい。
とコメントが続く。

見ながらふと思ったことは、

ホンマにインターネットって海を超えるのね。

翻訳ソフトの出来の善し悪しは、別の機会に譲るとしても、ホンマに海外から
えいと書き込めば、メールが届く。
そして意味はおおよそつかめる。

ツイッターも何も特別な事を書いている訳ではないが、フォローが毎日増えている。
ありがとう。


サイト制作の仕事をしているが、もはや世界のホームページ制作のノウハウなんて、すっかり個人のキャパを超えている。携帯サイトやiphone対応、さらにはブログの設定やブログのカスタマイズに至っては、もはや「どんだけーー」という位にタグや禁則の種類がありすぎるし、htmlからxhtml、java scriptはなんとかなってもPHPからparl、cgi,さらには携帯キャリア毎のタグ関連と、ほとんど何がどうしてこうなったのかという程の量。毎回作ってみては検証して、エラーとお友達状態で、ホンマにきっとこうちゃうか?なんて至極まるで「当て物」みたいな状態も結構ある。

「おお動いた!」なんて(こんなブログに書いていいのかな?)こともあったりして、本当に試行錯誤と七転八倒なこと甚だしい。

....なのにである。

見知らぬ海外の誰かからメールが来るのだ(苦笑)

かのモントリオールのバンドマンのプロフィールからいろいろ見ているとしっかり公式サイトも、ファンサイトもあって、キチンとプロとしてやっている御方のご様子。凄いねえ。繋がるのねえ。友人承認はしたものの、まだ彼にはメールを返していないが、せっかくだからこちらも翻訳ソフトを駆使して返事をだそうかというところ。

という訳で明日も終日新しい企画の打ち合わせの予定。

ツイッターでは、わずか140文字なのに、結構な量のトラフィックがあり、そしてそれらが一つの流れを起こそうとしている。最初はまるで訳が分からなかった。何かに対してつぶやいている誰かのつぶやきは、ほとんど単独では意味を読み取れないが、しばらく読んでいると、たわいもない日常の中に、話題になっている事がつかめるようになる。

ホンマに最初は、つぶやき...○○なう。。。程度しかわからねえなあ。というところだったが、多少の好奇心と、どんなことになるのかなあという期待感で、しばらく続けていると分かってきたりするという感じだ。周囲でも、最初の段階で、「意味わからんわ」と辞めてしまっている人も多い。

今更ながら「継続は力なりい」と拳を振り上げる気は毛頭ないが、

インターネットのパワー

恐るべし。。というところか。

よく聞かれる。ミクシーってどうですか?ツイッターどうです??フェイスブックやマイスペースは?youtubeは?ブログは??

最近よく聞かれるが、いつも「わかりません」と答えるが、結局は自分が何をしたいのか?という反問になる訳で。

インターネットで何がやりたいか?とは、結局人生で何を残したいかという問いに近いなと。
僕はとにかく「何か」を残したい願望が強い。存在証明とか、そんな言葉を高校時代から良く話しをしていた。

ということで、

モントリオールのバンドマンさん。頑張ってくれたまえよ。
僕も頑張るぞい。一緒に(何を?かは聞かないでくれよ)この地球で頑張っていこうぜい/

2009年12月23日水曜日

オープンソースなる考え方

企画やプロジェクトなるものに携わって、ある程度になる。
従来(昭和)では、特定のプロジェクトや技術、商品について、特定の団体、企業、プロジェクトが「秘密」にして自分たちが独占することによって、利益を獲得するというモデルが機能していた。

「していた」と書いたのは、これからは、特定の知恵や技能、ノウハウをオープンにすることにより、2次的に広がる波及効果の輪の中にいたほうが、個々の枠内で活用するよりも、自分たちも利益が大きくなるという時代。

例えば、特定の問題に取り組んだ北海道のaさんが、エネルギーをかけて解決方法を編み出した。同じような課題を、全く別の東京で、悪戦苦闘しているbさんや同じく九州で不眠状態になって苦しんでいるcさんには、見知らぬaさんの編み出した解決方法の恩恵を受けることは出来なかった。

昭和の時代は、まさに個人も、企業もそんな、課題解決の手法、ノウハウ、技術を獲得する競争をしていて、自分たちの個性や独自性というものを自分たちの影響力の範囲内で活かすこと、独占して使うことに注力をしていた。

自分たちで編み出した技術は、特許を取得し、他人には使わせないという見解だ。

<断っておくと、特許は必ずしも他人に「使わせない」ためにあるのではない。使うときに、発明者への、その発明に関する価値を、きちんと認めてやろうというものなのだから、特許=排他的というイメージは、どうやら日本だけのもの。もちろん無断で使用すると「発明者の価値を認めていない」からダメだということなのだが、本来は、「使うときには、いかほど?」と価値を話合うというものが特許の正しい使い方だ。>

これからの時代は、先の例に戻るときっとこんな感じになるのではないか。

問題解決をしたaさんは、その解決方法を自分のブログに書いた。同じ課題をもつbさんやcさんは、インターネットで情報を探していて、aさんのブログに検索語がヒットしてaさんの見解を知ることになる。
さてこれで問題解決となる訳だが、ここで、bさんはブログのコメントに「助かった、ありがとう」と記録を残し、コミュニケーションの一端を残した。

その後、コメントを見たaさんは、bさんに「コメントありがとうございます。お役に立てて光栄です。実は、○○の箇所に一か所不都合とまではいかないのですけれど、円滑ではない部分が残っているのですが、bさん、実際に活用してみて、何かお知恵はありませんか?」とコメントを返した。

するとaさんが心残りに仕上げていた箇所については、実はBさんはエキスパートだった。そしてBさんは「その件でしたら、実はこうやって、こうすると円滑になりますよ」とすぐに対処出来た。

で、このやり取りをブログで見ていたCさんは、「おふたりの意見交換は非常に参考になりました。ところである部分ですが、この方がより円滑になるのではないかと思うのですが、aさん、bさんのご意見が頂けると嬉しい」とコメントをした。

aさんも、bさんも全く気付かなかった部分だ。
cさんの指摘により、検討をしたaさんは、cさんにコメントを返す「これは全く盲点でした、Cさんのご指摘のように非常により円滑になりますね」



さて、である。

もしこの事例が、何かの商品だったと仮定して検証すると、
aさんがはじめに開発した商品と、bさん、cさんのやりとりを経た後の商品は、どちらが品質が上がっていると想像できるか?なのだが、答えは至極当たり前に後の商品ということになる。

この3人を3つの企業に置き換えても答えは同じだ。
そして3つの企業を、3つの国に置き換えても。


最初の商品を「x」、最後の商品を「y」と名前をつける。
2つの時間軸を比較してみる。「x」を単独で販売しようとした場合と「y」を3者で共同開発、共同販売した場合との比較だ。

aさんがかたくなに秘密を守り、自分の枠の中で独占利益を得ようと頑張って販売をした「x」は1億円の売上だったとして、その改良品の「y」が広く各国に販売出来て売上が50億円になったとしたら?

同じaさんの利益は、どちらの形態の方がいいか??



現実には、そこまでイージーに事は運ばないが、
オープンソースの考え方とはきっと3者で共同していこうじゃないかという方向性の中にある。

企業間の合併や、飛行機の共同運行、共同研究開発とかが新聞に載っているが、
開発費用という点でも、結局同じ基礎実験を、お互いの企業が「秘密」でやっていて情報がないものだから、
何度も、どこかでやっているとしたら、ずいぶんと「ムダ」な話。

インターネットは、そんなオープンソースの「基盤」を作っていて、
本当に今までの閉鎖系から、開放系への革命が起きている(もしくは起きてくる)

とすれば、

閉鎖系の枠組みを、開放系に変化させないといけないんだけれども、
果たしてこの国は、閉鎖系の方向性の中にいるのではないか??

「独自の技術」「独自のノウハウ」も開発自体は素晴らしいが、活用段階では知恵が必要だ。

日本はこれから開放系になれるのかなあ?
むろん、毎日の生活と取引の中で、昔の鎖国のような状態を続ける訳にはいかないから、大きな流れとして情報は回遊していくのだけれども、問題はその「スピード」にある。

歴史は、閉鎖系から開放系に、物理のエントロピーの法則のように、確実に最高値まで変化し続けているが、
それが「世界に流されている」ように変化するのか

はたまた「流れに載って」「自ら」泳いでいけるのかは、僕は現在非常に悲観的に見ている。

だって、自ら泳いだ歴史がないんだもの。

泳げる人は、海外に出て行く。その方が自分らしく生きていけるだろうから。

泳げる日本「人」は出てくると思うが、「日本」は泳いでいけるのか?


で、オープンソースなる考え方の方向性が先の事例のような体系だとして、課題になるのは何か?

キーポイントは技術ではない。
コミュニケーションとか、プレゼンテーションとか、
あるいはコメントとして「お礼」を述べるとか、「感謝の意を表す」とかの礼儀のようなゾーンの話。

異なる立場の人と「組んで」よりよい、大きな仕事をしていくという作業のプロセスに
日本人は「慣れていない」

「交渉」「契約」「法律」やら、「構想力」や
いわば、想定を何種類も考えて、最適解を求めていくという頭の使い方が、特にこの50年では得意ではない。

いわゆるテストの回答のような、記憶、前例、の事例の暗記のようなものは優れているのかもしれないが。

「交渉」「契約」「構想力」を検討する場合は、条件別に何種類も構想を考えることに迫られる。
しかし、現実におきる出来事はその中の1種類。せっかく考えた何種類もの「没案」が足下に転がることになる。
しかし、この「没案」たち、もしくは「没案」を検討するときにシュミレートしたことどもが、やがて大きな力になる。

教育が大事だとは最近よく耳にするが、それは情報、知識ではない。(というか情報も知識も必要だが、それで十分ではない)

検討、比較、検証、仮説、構想の力が必要だ。
だから人生にはムダが多くなる(苦笑)

今までの昭和の価値観ならば、最速の最適解を「知っている」ものが強かったが、

これからの時代は、

きっと


試行錯誤や七転八倒の経験や、そのおりおりに考えては「没案」になったものに埋もれるほどの人間が必要かもしれない。
そして、人の輪を作れる人。人を巻き込む力。魅力。それは人間臭かったり、人情だったり、義理堅かったりというもの

明治の空気が必要なのかもしれない。。。。

2009年12月22日火曜日

これは久しぶりにガツンと来た!

マイケルジャンクソンの映画にギターを引いていた彼女は誰だ??と話題の彼女がいよいよ日本でデビューする。
この子すげー!絶対ヒットすると思う。

バイオグラフィーはこちら
オリアンティのバイオグラフィー








2009年12月20日日曜日

横浜と

横浜に行ってきた。
携わっているプロジェクトの会議である。
クリスマスの飾り付けが一段と美しい横浜は、僕の好きな街の一つである。もう一つは神戸。そう港町である。

横浜〜川崎、菊名のあたりは、20代の頃にしばらく仕事の研修と勉強に滞在していたことがある。
当時川崎に研修施設があって、そこでものづくりや機械構成の研修と、光学レンズの勉強をしていた。

休みになると横浜に出て、港町周辺を散策してたりしたが、みなとみらいが出来る前だったから、港町特有の少し寂しい風景があったと記憶している。

横浜は、港町であるから、外国の空気が漂う、これは神戸と似ている。明治時代には開国の嵐とともに、たくさんの外国人がこの街を闊歩したに違いない。

横浜といえば(鉄道おたくの)僕にとっては、もうひとつ東急線だ。まだ若かった社会勉強中の僕が、何度も通った鉄道。

ちょうど高校を出て、横浜や関東に仕事で出ていた同級生たちと時間を合わせて居酒屋で飲んだりして、最終の東急線にはお世話になった。寮の生活だったから、門限を破りつつ、いつも(毎回)始末書を書きながら一向に反省の色がなく、よく呼出しされたが、
決まって僕の回答は「日本の未来について研究勉強会をしております故、時間が遅くなること致し方が無い」というもので、寮長さんはいつも笑って「坂本龍馬気取りやな、あんたは」といい最後には「規則やから、呼出しして、僕も報告書を書かないといけないけれども.....」と言いながら、こっそり裏口の鍵のコピーを渡してくださった。「寮を出るときは、ちゃんと返却してくれよ」と

なつかしい気分も手伝って、横浜入りはそんなことを思い出したりする。その当時の寮長さんは2年前にお亡くなりになったが、

数年前に「今こんなビジネスをしてまして」と話をしたとき「面白いことしてるんやなあ、相変わらずやなあ。君も45歳までは思いっきり試行錯誤して、50歳には一つのモノにしなさいよ」とアドバイスとも、激励とも言えることを言ってもらい、当時僕の成績になるのならと説明を聞くこともなく、僕のオススメ商品を購入してくれたりした。

「ああ、適当に送ってくれたらいいよ」

いつか、僕も次の世代の人に、こんな風に言えるようになりたいなあと思う人だった。


寮長は職人上がりの人だったが、いつも食事の時に「日本は技術が伝承されにくくなってきている。仕事のノウハウや技術は世代に渡って継承されてはじめて本物だ。でも時代のスピードが早くなりすぎて、本当に必要な時に、きっと技術的な伝承がなかったことに後悔するときが来る。」時代はバブルの絶頂期...

僕は将来の日本には、全く心配してなかったし、寮長の言葉の意味が全く理解出来ずに、それが世の中の進歩というもので、もっとこれからは機械が素晴らしい仕事をしてくれて、人は仕事をしなくても製品が出来るぐらいになるんと違いますか?とか、いろいろと反論していた。

寮長は、光学レンズの磨き職人だった。光学レンズの最高の質のものは、最後に「手磨き」で曲率を揃えていく。人間の手の感覚に追いつく機械は、実は今現在を持っても、ない。

寮長が教えてくれたことはたくさんあるが、今の仕事にも生きている一つの僕なりのものさしがある。

ものづくりのものさしだ。

僕が評価する工場の「ものさし」は、最終工程に人の手が入っているところ。

いろいろな工場を見てきたが、僕が仕事をしているところ、取引をしているアメリカの工場も、最終工程に人の手が入っている。

これは出来そうで、実はほとんど出来ていない。
最初の工程が人の手であるところは五万とあるが、最終工程に人の手が入っていて、それをきちんと管理していることはなかなか出来ない。さらに言えば、コスト削減のために人力でやっているのではなく、コストをかけて、最高のものを仕上げるために人の手を使っているところ。最終工程であるが故に、それはきちんと継承されていく。なぜ人の手なのかから始まって、どんな「感覚」を養うのか?何に注意を払うのか?どこまで出来ればOKであるのか?というものをチキンと伝承するためのノウハウも含まれる。

伝承のノウハウは、一種プレゼンテーションのノウハウに近いし、同じ内容のことを繰り返し、繰り返し、さらにそれを繰り返して伝承していく。根気とか粘り強さというものを超えて、愚直に、馬鹿になって繰り返すことでしか、物事は伝承できない。

寮長はこんなことも教えてくれた。

「繰り返すから伝承するのではなく、伝承させようと思ったら繰り返すしかない。繰り返すためには、シンプルでなくてはならない。シンプルであるためには深く追求するしかない。伝承出来る何かを作れよ!そして、繰り返し繰り返しで追求していくんだ。時代を先読みするのも大事かもしれないが、伝承すること、伝承できることを作れよ!」


横浜にくるたびに、思い出す風景。

来月も横浜で会議がありますように。