2010年1月17日日曜日

震災

さて、今日2つ目の投稿。

15年前の17日は、阪神大震災のあった日。当日は僕は東京出張を控えて7時38分京都発ののぞみに乗車して、1030からの東京渋谷での組合会議でのプレゼンターとして出席の予定だった。当時運営をしていた共同組合の春の販売促進企画プランを集まる260社の社長様に向けて発表する会議で、前日まで資料作りをして、寝たのは仮眠程度の2,3時間。この企画は当時の組合が抱えていた課題を飛び越えるために史上最大の予算をかけて挑むもので、僕も結構な気合いが入っていた。

新幹線乗車に向けて、僕はちょうど地震の来る直前に目覚めた。

「プレゼン上手くいきますように」

と思った瞬間だった。

遠くで「ゴー」という音がした。「うん?」
最初はグランと横揺れした。そして結構激しく揺れた。

最初は僕は「おお東海地震かあ」と思った。

長い揺れのあと早速テレビをつけた。
全国各地で震度速報がしめされている。が直後の速報では大阪、神戸の震度表示がなかった。

「こりゃ新幹線おくれるなあ。飛行機にかえるか」

最初の感想はそんな感じ。

そして、「新幹線は安全確認のために運行を休止」というテロップ。
「そうやろな」という感じ。

「震源地は未確認」というテロップにちょっと驚く。
各地の震源が表示されているのに、震源地未確認って何やの?

当時の組合のプレゼンは僕と神戸、大阪に居住する仲間4人で行う予定だった。
早速僕は新幹線をやめて飛行機にしようぜ連絡をとろうと電話をかける.....通じない。

繰り返し連絡をとろうとするが、回線が通じない。
発信制限がかけられて、東京にも通じない。

地震ならば、おくれても言い訳が出来るか。しばらくしたらまた連絡しよとベットに横たわる。
今日は延期でもいいかな。睡眠不足も手伝ってうとうと。

そしてテレビ画面に驚いた。

震源が神戸

しかも、

しかも高速道路が倒れている。

「マジかこれ!」


あわてて再び電話をしてみるがやはり通じない。

当時勤務していた店に慌てて向かう。
眼鏡店だった僕の店の商品が雪崩のように床に落ちている。

みんなは無事か?

店のスタッフはみんな無事。組合連中は??

店の営業は通常通りしてみたものの、誰もお客さんはやってこない。
連絡に明け暮れる。

夜になって、ようやく大阪の仲間と連絡が取れた。
「とにかく神戸がつぶれてる」

神戸の仲間は芦屋にいる。
芦屋の店は倒壊しているという情報。いかん。
翌日芦屋に向かう、が、西宮から先は交通がない。

徒歩しかない。

当時セブンイレブン系の流通機構に所属していた僕らは、セブンイレブンの通信網で安否確認を手伝う。しかしセブンイレブンの通信網と情報系統は素晴らしかった。メディアも警察も全く情報をつかめていない。

その後の数日は実はよく覚えていない。

とにかく通信と安否確認とにかく援護。
そして僕らは眼鏡関連だったから、眼鏡が壊れた人のために、店にある不要、不良の眼鏡枠と老眼鏡を持ち、補聴器の修理工具を持ち、そして持てるだけの水を抱えて歩いた。

小学校まで過ごした東灘の本山が、まったく景色をかえていた。

芦屋の組合の仲間は、残念ながら命を落としていた。

いろいろな、何か怒りのようなものが沸き上がり、しばらく思考が出来なかった。

その震災を境に、僕の仕事の情熱のようなものが土留めをさされる。

すっかり何もかも、一瞬で崩れる。
一瞬で壊されて、前日まであれだけ燃えていた販売促進企画プランなんて
本当に紙くずのように消えていく感覚。

震災がきっかけだったのかどうかは定かではない。
今から思い返すと意味付けのようなものが後から加えられていて、本当の意味付けは実は今も出来ていないのかもしれないが、どれだけ頑張ったといっても、何か、そうこんな地震のような出来事で何もかも一瞬で消えてしまう刹那。
それからの僕は、何か現代社会の、特にビジネスとか仕事の、何かの情熱のようなものが、
どこか「砂上の楼閣」のような感覚を覚えてしまう。

仲間の葬儀も慌ただしく、合同葬のようなもので執り行われた。
仕事の仲間の多くも、家が傾き、仕事どころではなくなっている。
人生って何?

僕らは戦争を体験していない世代だ。そして高度成長とバブル経済の中に人生の基盤の期間を過ごす。
そして震災。

「壊れていく」もの を体験したものに影響を与えるもの。
震災という経験が、どんな影響をもたらしているのかという社会的なことはわからない。

あれから15年が経つ。

仕事で神戸を行き来する。JRで通過する神戸の町並みを見る度に、
震災という出来事は必ず脳裏に走りゆく。

僕はあれから、多くの出会いと別れと、たくさんのご迷惑とたくさんの助言の中にいる。
僕の人生でこの15年間は、怒濤のごとく様々な価値観や、家庭、仕事、人生の要素が
次々と入り乱れて変化を起こした15年であった。

震災での犠牲者の方々とその影響を受けた方々に
祈りを。


直接被災を受けたのではない僕にとっても、大きな出来事。

阪神大震災。

今日はそんな祈りの一日。

だから今日2つ目の投稿。

ご冥福をお祈りします。

そして同じように人生の体験として影響を受けた皆さんにとって
今後の人生によりよい意味付けとなりますように。

2010年

あけまして(すっかりあけてますが)改めておめでとうございます!

怒濤の年末年始に、新しい各種のプロジェクト。
僕は2月生まれなので、僕の人生のタイムラインにおいては、
この2月を境にして、新しい年度が始まる感覚が、ずっとあった。

西暦的には2010年があけているが、僕のタイムラインでは、いよいよこれから年末年始的な
新しい区切りが始まろうとしている。
2月6日が誕生日なので、節分とあわせて、ちょうど2月の初旬で僕の中の「暦」が変わる。

こうして書いている今気付いたが、昨年は僕は数えで43歳の後厄だったのね。
一昨年が数えで42歳の「本厄」だったのか。。。
全く厄払いとかの作法をぶっ飛ばして、まもなくその「後厄」もあと数週間で終わろうとしている(苦笑)

この2月6日を持って、満で42歳、数えで44歳ということで、厄年を見事通過。あらま。

振り返ると厄年(一昨年)、後厄(昨年)と出来事を眺めてみると
本当に厄がかかっていたかもしねぬようなことであったけれども、その最中はとにもかくにも、必死の様相で出来事に対してきたなあと思われる。意識してなかったからいいようなものの、もしも毎日厄年を意識していたら、厄年だから意識で、よりいっそうひどいメンタルになっていたかもしれない(おー!こわ)

全くの無意識で「厄」を通過して、本当に無事に今があって感謝だ。

(厄払)とかの作法も、体験しておきたかったなあという心残りも若干であるが、過ぎてしまったので、ちょっと改めてありがとうございましたお参りでもしておくことにしよう。

年始の目標などを書こうかと思って書き始めたが、厄年談義になってしまったが。


で、今年は住まいを移ります。
夏前になると思われるけれども、今の住まいも8月に更新を迎えるので、それまでに次の拠点を探そうと。

もうすこしみんなが集まれる空間のある、交通便利な駅前で拠点を構えることを考えている。
新快速が停まる、周辺に駐車スペースがある(来訪者が駐車して来やすいところ)、
そしてリビングに数人が集まっても空間的に余裕のあるところ。

もちろん予算もあるが、
今の拠点も5年目を迎えて、そろそろというタイミング。

これまでもおおむね5年以内に住まいを移っている「転居族」
ずっと賃貸なので、2年ごとや3年ごとの更新にあわせて拠点を移しているが、
結構直前に、「縁」ありしとこを「えいやあ」と決めてきている。

今夏の転居は、おおむね本格的に今後の活動を考慮して、じっくりと拠点探しをしていきたい。

(とはいえ、結局は不動産屋に出向くと、「これが今すぐならばいい物件です!」とか言われて、
「今すぐどうぞ」とのせられて、独り身の強みか弱みか、「では」と契約という流れが続いているので、
物件探しの中、どれだけ「じっくり」出来るのかという不安もあり)

昨年はプロジェクトの打ち合わせなどで、一流のホテル、スイートルームなどの貴重な体験の場をもらった。いかに空間が特に知的作業の効率やアイディアに影響を与えるものなのかということを体験させてもらった。
これまでは住まいを選択するのに、当然予算と、交通が条件の筆頭だった。

もともとから移動、旅芸人的なところがあったので、生活拠点を重要視することがなかったが、今回は、ちょっとえらいことになっている。僕自身が、毎日の生活拠点の重要性を感じてきてしまっているからだ。

「そんなもん、夜露をしのげて寝られたらOK!仕事はほとんど外やから」という価値観が変貌を遂げてしまった訳である。
これに伴い、きっと家具やしつらえ、ソファーやベットなどもきっと選択基準が変わっていること相違ない。

えらいこっちゃ。

人生はじめての大規模拠点づくりになる可能性が大きい。
予算あるんかいな??

でも、拠点の環境大事やなあ。


いい仕事をしていくために必要なこと。

いい仕事をして貢献していくためにも、今まで助けてくれた皆さんにいい仕事ぶりで恩返ししていくためにも、これからしばらくの拠点物件探しは、ココロしてかからないといかんなと思う年末年始。

さて、どこにする??