2010年3月13日土曜日

身をおくところ

今週は、歴史の変換点を迎えているというテーマが続く。

2010年は、変革の台風の目のような年ということらしく、ここ数年の変化のニュースにも慣れて来てしまって、ショック感や危機感のようなものが、慣れという感覚で流されやすいという話。

歴史の転換点であるか否かの検証は、歴史の経過を待たなくてはいけないというパラドックスが存在しているわけなので、正否の検証に意味があるかどうかは僕の理解を超えているので、追求はしないでおこうと思うが、

大切な事柄は、この先の人生にとって、どんな体験を付加していくのかというきわめて私的で主観的なテーマ。

今の僕の視野は、今までのジブンの体験や感情で形作られていて、その視野に入る物事を線で結んだら、結局は今までのジブンの体験の延長線が、ずーーーと放たれていくだけになる。

今週の僕の結論は、ジブンの視野、今までの体験を一旦白紙にして、本当に今感じられる物事を、そのままジブンに打ち込んでみたいということ。

これをひと言でいうと、身を置くところを、僕の今までの体験上で「GOOD」と思える以外の場所へ身をおくということだ。
これには結構ストレスがかかる。今までの物差しで解釈できないものがある環境に身をおこうとするということは、大変疲れるし、乗り物酔いのような、ジブンの立ち位置が揺れていくような体験になるからだ。

今週は今まで避けている(もしくはジブンの視野、ジブンの価値判断のものさしではかりきれないもの)ものに触れることが多かった。だから非常に疲れている。

カラダは疲れていないのだが、精神的にストレスがかかっていて、これを面白いというのか、はたまた、クレイジーというのか、これはわからないけれども、とにかく物差し外のものを「求めている」わけだ。知らないうちに、ジブンに価値判断の物差しが出来上がっていて、脳みそが勝手にYESNOをつけていることが分かって来た。

これを既成概念と呼んだりすると思うが、ジブンがいかに既成概念に包まれているかというものを自覚するには、時折非常にストレスのかかる「カルチャーショック」が必要だったりするが、このカルチャーショックを「求めて」いるという状況。

通常カルチャーショックなるものは、カルチャーのショックであるわけだから、突発的に、出会い頭に訪れるが、これを求めてみると、つまり、環境を選択するということになる。

今までの感覚にはなかった感覚なので、言葉に昇華するのに時間がかかるが、ジブンの中にあるセンサーのようなものが、「測定不能」という答えを出す感覚は、とても面白い。(と感じて疲れているのだが)

ジブンのセンサーが、今までの体験値だけで判定をくだしているのかが分かる。

この感覚を支えていくのは「好奇心」
で、好奇心を支えているものは一体なにか?というと、
それは「新たな体験のステージに向かいたい」という何か宇宙からのメッセージのよな、(いやこんな言い方で濁すにはもったいないほどの、変化、成長、拡大への法則のほうなものか)と感じていたが実は違った。



それはやはり環境。
環境というと、人、

結局人は人にしか影響され得ない。

好奇心旺盛になりたければ、好奇心旺盛の人に触れていくしかない。

僕はそれを勝手に「寄生する」と呼んでいる。

どんな人とどんな情報に触れるかという環境の選択を、ジブンの物差し以外のもので選択していくという、パラドックスのような問いに答えがあるとすると、それは


「ようわからんけど、面白そう」というマグネットと、
「こんなんあるねんけれど、どない?」と誘ってくれる「人」を選択すること。

ジブンを変化させたいならば、積極的に他人様に寄生するしか方法はないように思う。

だって、ジブンで変化させていけるならば、変化したいとは思わない。
なぜならば、変化「したい」と思う=ジブンで変化させることは出来ていないという構図。
「したい」と思う時点では、「出来ていない」ということだから。
「出来ていれば」=「したい」とは思わないということだから。きっと。


ジブンが男性であると自覚するには、男性以外の性の存在があるし、ジブンが日本人なんだなあと自覚するには、日本人以外の存在が必要であるのと同じメカニズムを感じるが、これは正解なのかな。


目標達成の考え方は、結局目標=今のジブンの延長線上ではなり得ないジブンへの「ジャンプ」であるわけで、その
今のジブンと目標達成後のジブンには、当然距離があって、その距離を埋めてくれるものは、
実はカルチャーショックだったりするわけだ。

このカルチャーショックを求めているということなんだな。きっと。
「切れたい」という感覚に近いなということだ。
これはここ数日、僕の師匠たる方との対話の中での話であるが。

「切れたい!」「ぶち切れたい!」という欲求って実は非常に大事だというおはなし。


好奇心旺盛な人に寄生すると、好奇心が移る。
好奇心が移るということは、デジタル的にいえば、ジブンの中にあったプログラム以外の情報が、その人を通じて入ってくるということになり、その現象に影響されて、ジブンも好奇心旺盛になって、好奇心を満たせてくれるような、新しい情報を引き寄せるということになる。


さて、今週に感じたものごとが言葉に昇華されて、論理的になるまでにタイムラグがあるが、その熟成を待たずに、もっと変革への好奇心を加速させていくと、僕自身の意識は変化、成長、拡大していって、新しい体験を付加することになっていき、その新しい体験が、新しい感覚をもたらすという刺激が、面白いのではないかと。


何事もよく知っているのが人生を豊かにすると思い込んでいたところがあったが、
実は「好奇心」=「僕それ全然知りません」ということが人生に新しい価値を付加していくことが多いような気がして、ちょっと興奮している。

(気付くのが遅いかもしれないが、僕は全然知りませんから、ぜひ教えてくださいという姿勢が、人生を豊かにする一つの方法なのかなと思ったりしている)

とにかくここしばらく、意識して身を置くところを選択していきたい。

(ちょっと、注釈的に能書きを足れてしまうが、この文章は、僕の感情のプロセスをそのまま残すために書いていたりするわけで、論理的、言葉的に未消化があることはご了承のほど;読者無視の文章があるのがこのブログでして、最近結構ご覧頂いているような感じで恐縮ですが、きわめて私的な記録であります故、そのあたりご了解ほどを)

ということで、ここしばらくは全く私的な事柄を記録している。

で、台風の目の話であるが、
台風の目の時に、実は大きな変化が生じるということらしく、僕は気象科学に詳しくないから、よくわからないが、台風のメカニズム的にいうと、この台風の目の領域の気圧、気象が、台風の勢力を決定づけているということらしい。

聞くと当たり前な話だ。
台風の目が中心で渦を巻いているわけだから、台風の目が勢力を決めているに決まっている。

2010年が台風の目なのであれば、この、今年の過ごし方は、今後の勢力を決定するということになる。

おお大変じゃ。

勢力を決める台風の目の過ごし方。

明日もセミナーが続く。

台風の風に、左右されているわけにはいかぬな。

突然だが、桜の木は、ちょうど今、
今年の桜の色素を、木の幹一杯に作り出していて、間もなくそれが花になって開花する。
その感覚にも、似ているのかな。

今後の勢力を決める2010年。
こころしたい。

2010年3月12日金曜日

10年後に今の仕事の8割が

セミナーでちょっと面白いことを聞いた。

あるアメリカの大学が、よくある将来予測の中で、こんな話をしているという。

歴史を振り返ると、「○○革命」というものが何回かあり、
それぞれの革命の前とあとでは、仕事、生活が変貌するということは
歴史に鈍感な者でも、理解が出来る話。

昔、農業革命という稲作を人の手で「栽培」するという革命が起きて、
人の暮らし、生産、富は変貌して中央集権が発生する。

そして産業革命が起こり、都市というものと工場というもの
そして労働というものが、産業革命、工業革命ののちに姿を表す。


そして今はIT革命の最終段階。

と来ると思いきや、そうではなかった。。。


今のIT革命と呼ばれているものは、次の革命の土台を築くものではあるが、
実は「革命」ではないという話だ。

次に来る、(2012〜2015といわれている)革命、
それは、

人の仕事が全く変貌するということらしい。

名付けて「オートメーション革命」

聞けば、この革命

人が携わる(と思い込まれている)仕事における一大革命なんだそうだ。
つまるところ、労働を提供して対価を得るというモデルが崩壊するというもの。

つまり現在人が携わっている仕事は、すべてオートメーションになるということ。
理解しやすくするために極論で表現すると「人」が労働することによって
会社としては経費がかかる、経費を極限に削減するには
機械やITに代役をさせていくということ。

これは理解できる。

スーパーのレジには、機械が設置されて
レジのパートさんのかわりに、機械がバーコードを読み取って、会計が出来るというものが普及。

荷物の配送も、今や自動操縦の車が、実は稼働テストが繰り返されていて、
まもなく実用に入るという。(これはドイツの話)

驚くのは、「とはいえ、これは人でないといかんやろ」と現在思われている仕事も
経費削減の嵐の中、どんどん機械に置き換わるという20世紀時代にSF映画で見た社会そのものが出現するという。

夢みたいだが、
弁護士や裁判も、コンピューターのデータを元に、今よりは遥かに少ない人数で、
今よりも多くの事件や裁判が決裁され、

難しい手術も、小さな機械が、人のカラダに入り込み、自動操縦、自動判定をして
とっとと手術を終わらせていく。

教師も、コンピューターゲームのようなセルフスタディの方法が普及。

そして、無人のコンビニでは、もはや万引きに神経を尖らせることもなく、
機械がセキュリティーから在庫管理、会計まで行うという店舗ごと自動販売機という具合。


さて、人間の関わる仕事とは?
オートメーションのコスト安に対抗出来る仕事とは?

結論は、実に10年後の仕事の8割以上は、現在姿を表していないという研究結果。
つまり、今後10年の間に、人の仕事のモデルは8割が入れ替わるということだ。

もはや子どもの教育の方向性を大きく、劇的に、それこそ革命的に変化させないと
時代遅れどころの騒ぎではなく、全く仕事と報酬が入らないジャンルに積み込まれる恐れまである。


さて、ここまで聞いて僕はひょんな事を思い出した。
それは昔高校時代に、僕の本の先生だった佐伯先生が僕に放ったことばだ。

「これから50年先に残るものは芸術関係の仕事だけかもしれないから、
たっぷり社会経験をつんで、あなた作家になりなさい。娯楽や作品を作ることしか
人としての仕事はない未来になるかもしれないよ。労働に未来はありません。
たくさん本を読みなさい。」

ずっと忘れていて、それも今になって鮮明に思い出すとは、いやはや。

先生すげーな。
しかも、さらりと「労働に未来はない」と言い切っているところが感服。


これは僕も、社会経験の中で実感していたことである。
お店の運営をしていた時代に痛感した。
人件費が一番利益を食っている。
利益を挙げたいならば、売上を上げるか、人件費および商品在庫経費、販促経費を減らすしかない。

これは1+1=2という位に単純明快な話。

運営をする側、社長側から見ると、何より比率の大きい人件費を
出来るだけ「非道」なイメージが出ないように削りたい。

ここまで書くと、「サービス業はどうなのよ?」という声を発する御方も多いと思うが、
その研究は、サービス業の未来についてもばっさりと書いている。

「未来のサービス業は、富裕層向けしか存続できない。つまり高い人件費をまかなう事が出来る売上を確保可能な、ゴージャスで豊かなサービス業は存続出来る、が、その数は1割に満たない。」


「会社」は存続するが、その中身は、
機械とITに埋められた少数の労働者が、世界流通を管理するような、すこぶる少人数の仕事。


そしてこの報告は、次のようになっている。

「多くの人々は、芸術、作品、そしてパフォーマーとしての産業に従事することになる」

これまた極端だが、人類総アーティスト時代の到来か?


そして注目の結論。

「労働収入」は歴史の用語と化す。多くの人々は作品権利や、その他の権利的な収入を支えに、
複数の収入源を持つに至る」


これから10年。

見逃せない。

2010年3月11日木曜日

予感めいたもの

何かを残しておきたいという欲求は、
ジブンが何者なのかという問いに繋がっている。

ジブンが何者であるかという問いは、
何をしたいのかという問いに繋がる。

予感めいたものがある。
それは今まで生きている何か、そのプロセスの何か、そしてその影響力とその反作用の螺旋の中に
一つの流れが生じて生きている感覚。

これまでジブンの人生は、何種類かのシーズンに別れていて、
分断された中における、それぞれのエピソードが
その影響力と反作用の組み合わせの中で、
何かの欲求に繋がっているのだと思い込んでいた。

この3月に感じる風は、ちょうど20代の後半に感じていた感覚に似ている。

これからどこに向かうのか?という漠然とした不安と期待の風。

30代は大きく舵を切って、それまでの20代の影響力と反作用の中で
そのシーズンが作られていたと思っていたが、

実は一つの大きな流れの中で
ひとつのプロセスが進行していたのではないかという感覚だ。

何種類もの体験を重ねてきているのではなく、
大きな一つのプロセスの体験を経ているということかもしれない。


実に抽象的なことを書いている。
これは抽象度が高いということではなくて、いまだ予感めいたものにとどまっているために
ことばが抽象的になっているということだ。

予感めいたもの。
振り返ると、変化めいたものはこの春先からGWまでに生じる。

淡い期待と、変化の風のようなもの。


ジブンが生きて来た「証」のようなものが
積み立てられて表現されるとしたら、

ジブンが生きていた、つまり思い描いて来たものが、
積み立てられているとして、それが一つの大きな流れに集約されてくるとしたら、
それは結局、その集約のプレセス自体が「生きる」ということになるのかも知れない。

とにもかくにも、
3月は非常に、(一年のうちでも最大の)仕事的にも、今後の方向性的にも
そして作業の量的にも山場を迎えている。

作業としての精度もさることながら、
作業を通じてのプロセスのうち、
いろいろな取捨選択と、その大きな集約の中に、
今後の方向性が見えてくることがあると思われる。