2010年9月8日水曜日

記録

このところ、思考がジェットコースターのように駆け巡る。
それは、今一度、何のために生きているのかと自問自答をして、その「ありたい」姿になるために、エネルギーを集中していこうと決意したからかもしれない。

生きていくにはお金が必要で、そのお金を得るには仕事を行うという構図。その構図が自分の中に、ずっとある意味制約として残っていて、思考の展開は、その制約の壁の存在と共に停止をする。

自分の生きている、生活している行為そのものが、「仕事」になることが最上だと思うようになったのは、つい最近のことだ。

先日、マクセルのCMに出ている津軽弥三郎節のおばさんの回をyoutubeで見た。
ゆるやかな衝撃を受けた。マクセルのCMは、「残したいものがある」というコンセプトで、毎回取材構成されていて、新留小学校篇などは涙腺がゆるんでしまう。
その津軽編は、僕の生まれ故郷である西津軽の話で、弥三郎節を継承する人がなく、おばさんのみがその唄の「正調」をうたえるとの話であったが、そのCM取材の数日後に、そのおばさんがお亡くなりになったという。

文化や伝統を守ろうという話は、正論でありかつみんながyesとうなづく話ではあるが、当事者として伝統を継承するということになると、話は変わる。現代では、たくさんの伝統が「失われていく」が、それをやむを得ないものとしていくには、大変残念だし、惜しい。しかし、それを守ろうとしたら、技術的にも、経済的にも、そして能力的にも、誰もが出来る話ではない。

伝統とは、守れる仕組みがあって、もしくは、生活に、仕事の中にその意思があってはじめて守れるかどうかという厳しさがあり、弱肉強食、あるいは生き残りの理論というような側面から、時間の流れと共に、それらの伝統が生き残る「強さ」があれば生き残り、生き残れないとなれば、それはある意味寿命のようなもので、致し方がないという意見に、賛同しかねるが、積極的に否定が出来ない自分がいる。

全く今までは、そんな伝統と無縁で生きてきた。
自分が当事者として守るべき、例えば、地域伝統のお祭りであったり、地域伝統芸能に関わるようなことはなかったし、僕のほうから、そのような環境に入ろうと意図したこともない。

ある意味傍観者として、つまり一般論として「伝統は大切にしたほうがいい」「伝統は守るべきだ」というような意見を述べていたにすぎない。

動植物の絶滅危惧種を守ろうという運動や、伝統を守ろうという運動に、現代に「生き残る」ための仕組み、つまり人が注目したり、人が集まるという仕組みというものが必要なんだと感じる。
伝統だから守りましょうというお題目は、少し現実的なアプローチではないと思われる。なぜなら、平たく言えば、人気のあるものは「生き残る」からだ。理由は人気があるから。

ホームページや商品企画の仕事をしていて、思うことは、新商品でも、自社のサービスでも、知っていただくこと、理解して頂く事を通じて集客や売上げを獲得するという流れの中にいて、伝統も、守るべきものも、知らない事となっていては何の術ももたない。

どうだろう。守りたい、継承したいことを取材していき、まずは記録すること、そして今の人々が興味を持つようなイベントにしていくとか、仕組みを考案することは出来ないだろうか?人気を得るという言葉を使うと、ある意味、保守的な感覚の方々からは、「魂を売る」ような感覚をもたらすかもしれない。人気を得たいがために、商業主義に走るというイメージで。

出来る限り正確に伝統ものを記録した上で、現代や後世にも人気を得て残っていくようにリニューアルする。今の段階で残っているものは、まず正確に記録する。そして検討をするのだ。

演劇のような形、映画としての記録、舞台芸術としてのスタイルで残す。とか写真展を行う、本やホームページにする。とか記録の手法や、リニューアルの手法は、ワークショップの形で議論をする。出来れば、そのプロセスも記録する。
いわゆるメイキングとしての記録も、残す。

とまあ、ここまで書いていて恐縮だが、僕が知らないだけで、日本各地には、志を持って、後世に伝統を残していくべく地道に活動されている方々が、ひょっとしたらたくさんおられるかもしれないが。

強引に意見を書くと、僕が知らないということ自体がすでに、知らない人々が多く存在しているということに、なる(のではるまいか)、まあこれは強引な意見として、つまり、伝統を残していくということについて、議論や手法などを行うことが重要ではないかと思うということ。

記録に残す。取材をする。世界を観ていく。
発表できる「場」を作り出す。

そんな活動を軸にするべく、アイディアを考案している。
というところ。

自分の意思、使命のようなものを通じて、生活出来ていくという世の中に、これからしたいし、なって欲しい。
と思う。とういうような感覚。
そんな思いの記録として。

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