2009年が始まる。年頭の所信表明ということで思いつくままに書いておく。
まずは目標と価値観を明確にすること
稼ぐこと
そして古い自分自身についての脚本を書き換えること
自分の意思を明確にすること
決意を変えても何も変わらないので行動を変えることを意識すること
そして全ては2度作られるという法則に則り、先に頭とイメージで現実をシュミレートして取り組んでみる。
中心に置くべき価値観を結果、成果重視において、そのプロセスも楽しんでいく。
今までの僕の価値観、何をYESとし、何をNOとしてきたのか?
自分の人生においての今までの経験を一旦再編集をしてみる。
自分自身の反応の古い価値観は、「僕は悪くない」というものだったと思う。僕は悪くないに発する反応は、全ての現実が僕自身の内部の問題ではなく、僕は精一杯やっているが外部(僕の内部以外のもの)に原因があって、自分のコントロールを超えているために、僕は悪くないと規定する価値観だった。何度も訪れる経済的な行き詰まりも結局自分の影響力を超えたもの、世間の景気、仕事先のシステムや評価基準が原因であると見なす。悪くないと自己保身に走ったのは、それが何から発生したものかはあまりよく分析できていないが、きっと自己愛(自分に対しての愛情)というものを重要視していなかったことがある。
僕はよく壊れものだと思っていて、それは親の指し示すような期待に応えることが出来なかったことに対して、自分は良くない人間だと思ったことと無縁ではないと思う。とにかく自分の意思を貫くよりも、周囲がYESとなるような自分でいることで拒絶感を回避していたことがよくある。自分の意思よりも周囲の意見や風向きを、つまり人の顔色を伺うような状態で波風を立たせる事無く生きるほうが、衝突が少なくて済むという傾向だ。しかも困ったことに、一定以上の抑制エネルギーがたまると今度は、開き直って自分の我欲を発信し、(それが一定我慢する時間を経て、物事の最終局面において我欲を発散させるものであるから、周囲にとんでもない迷惑をかけることに至る訳である)その我欲を発散して以降は、自分に対する批判をシャットアウトするように周囲の意見から閉じこもり、交流までも閉ざすためにたちがわるいことになっていく。最終局面で、他人が介入する余地がほとんどない状態=僕の我欲の発散が発する方向以外に進める選択肢がない状態に追い込むために全く破壊的な現実を生み出すことになることがしばしばであった。
その最終局面が破滅的な現実を迎えると、その反作用としての自己批判のシーズンが始まる。全ての原因は自分にあって外部には何も悪いところはないと規定する訳だ。実はこれも、自己保身から来る反応で、そのような反省局面では、また他人は誰も僕を責めることができなくなる。自分が全て悪いのです。これから改心して変化しますと先回りして「宣言」をする訳なので、周囲は執行猶予として僕の行動を見守るしかないということになるのだ。これがまた繰り返すと非常にたちが悪いことになる。だから現象のネタが変化するだけで構図は一向に変化がないということになる。
さて、結局はそんな自分の「性向」や「自分に与えた自分の行動脚本」は書き換え可能であると知ったのはつい最近のことである。
「3つ子の魂100まで」ということわざがある。
小さい頃に身に付いてしまった習慣、性向、性格はその人生において支配的なものなのだという意味として捉える僕に衝撃を与えることが昨年にたくさん引き起こされた。人間は目標=目指すものに対して変化成長出来る生き物であるということを感じることが続けて起きたのだ。今年の所信表明を書くつもりが文脈があちらこちらに逸れていくが、思い込みや既成概念を超えるということについて、たくさんの本を読んではきたが、その読後の感想は、つまり「こんな人もいるのだろうな」という他人事であったのかもしれない。
人は生まれ変われるかどうかという命題について、僕はこの40年間こんな気持ちだった。「変化成長は可能ではあるが、人の本質的な部分は変化出来ない。その本質的なものを個性をいう」と。今年僕はその価値観(ある種の思い込み)を変化させようとしている。
人は「目指すもの」を達成するために歩いていくと必要な変化に迫られて、その変化は永遠かつ、広範囲にわたるものである」という価値観への変更だ。
これを書きながら変な夢を思い出した。
いつも僕は同じような夢を見る。昨日みた夢(つまり初夢)も、またこのシュチエーションかと思うものだった。
何かの戦いが起きている。僕はどうやら反体制のような立場にいるらしく、体制側のものたちに追われていく。一本道の両脇にある建物を次々と隠れながら、ゲリラ的に体制側の兵士にかく乱戦を挑んでいる。そしてある大きなビルの一角に身を隠しながら、追っ手から逃げる。途中で現実の人生での周囲の人々が登場していく。追っ手を1人また1人と倒していきながら、まだ制圧されていない混乱の中を駆け巡る。敵なのか味方なのかが分かりにくい中で出会う人々。スパイがひそみ、偽の情報をもらったりして、これは信用していい情報なのか、ひっかけ(言葉が貧弱だな)情報なのかを瞬時に決断していき、追っ手を判断して銃を打つ。こちらからもいろんな情報を流し、あたかも次のビルに大群が隠れているかの情報を流したりしながらかく乱させて逃げる。エレベーターの上下を使って敵をおびき寄せたり、顔は分からないが味方とおぼしき人を連携して挟み撃ちにしたりする。何発かの銃声が僕の近くで鳴り響き、なんとなく自分の味方の優勢雰囲気で夢は終わる。こんな夢を学生時代から何度も見ている。
僕の深層心理は何から逃れようとしているのか?ずいぶん長い間謎であった。現実からの逃避かなと思ったこともあるし、過去生の記憶、それはスパイか何か、もしくは戦争時代の記憶が夢になって表れているのかなとか色々と解釈をしてきた。
今日ふと感じた答えは、僕は結局僕自身の既成概念や思い込みのようなものから逃れようとして戦っているのではなかったのかということだ。思い込みや既成概念との戦いといえば格好が良すぎるが、思い込みを外して、自分の能力を超えた何かを求めているからかもしれないなと。
潜在能力というものが引き出される瞬間の話を聞いた。それは目標を達成したいという時に、ここで一気に達成じゃと気合いを入れたときに、どうしても達成したいという思いがあふれたときに訪れるらしい。
とすれば、目標を達成する能力よりも、目標を設定することが重要であるということになる。
どんな目標を設定するか?
本当に欲する目標は何か?これが本当の潜在能力を引き出す最初のステップということになる。
僕の目標。
それは本音でいきたいということ。そして本音を語る仲間に囲まれて、本音を語る家族やパートナーに囲まれていたいということだ。本音でいきていくのは何かと制限や制約が多い。その制約を出来うる限り低くするために必要なものは何か?それは、きっとこうだ。
まず自分の人生は自分次第であるという価値観を基本としていくこと。ということは自分の仕事は雇われでは制約を多くつけていくことになる。自分で起業することが必要だ。つまりオーナーになるということが必要だ。しかも仲間もそうであって欲しいとするならば、仲間も同じ制約が少ない方がいいということになる。起業の種類は、ここから限定される。人に雇われず、人を雇わず、起業することだ。
これは大きなチャレンジになる。僕には幸いなことにその制約を低くするようなビジネスの機会に恵まれている。
そのビジネスモデルの機能を発揮するためにこの一年を費やそうと思う。
これは大きなチャレンジになる。
今日はここまで。さらにモデルを構築するべく明日一日もじっくりを考えたい。
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