2010年2月8日月曜日

俯瞰

日曜日、資料をつらつら整理する時間を持つ。

このところ膨大な情報、資料に囲まれていて、ちょっと背中を押されている感じであったので、じっくりと充電する時間をもちたいなという反面、次々とスケジュールが立て込み、そして目標に対しての「やるべきこと」を次々にこなして体感をしていきたいというコトもあって、ノートを整理しよう!←いやいや実際の体験、体感で身につけることが大事!という意識の螺旋の中にいる。

さて、ここにきて、資料を整理しようと先ほどから作業をしていて、ぼんやりとしたイメージが降りて来ている。

先週は、いろいろと事件があった。
事件と言っても僕の日常を脅かすような大事件ではなかったが、こちらの用件で半年ぶりに電話をかけた企業戦士は、昨年末からうつ病になり、そして自殺未遂から入院、回復に向かってなんとか療養をしているという近況を知る。

なんと、半年の間にそんなコトになっていたとは。。。

「危機感」というキーワードがある。
その危機感を生じさせるものは、何かというと、変化やカルチャーショックというものだろうが、そのカルチャーショックなるものが何から生じるかというと、ある種の「概念の破壊」というものだろうと思う。
人は生きていく上で、一定の概念を作り上げながら、その座標軸の中で生きていこうとする。
概念とは、生きていくときの判断基準を、そして善し悪しの判断基準の物差しということと、もう一つ、社会、今の生きている環境を、どのように意味づけをするかという概念と思う。

出来事には意味はないが、その出来事をどのように意味付けをするかという蓄積で、その人の世界観が出来る。
そして、その世界観という立ち位置から見てどのように見えるかというもので、個々の人生は出来ている。
それは積極的に選択しているものと、選択しなかったものの和から成立している。



先週に会話をした中では、いろいろと価値観というか、その個人個人が持っている世界観、人生観というものを考えさせられた。世間では勝間さん的な思考、価値観とリカさん的価値観の対立(対立というにはことばが違うかもしれないが)が話題になっているらしいが、本質的には、どちらの生き方もあり得ていて、それであなたはどちら?(あるいは以外の立場)ということになる訳で。

世界を、社会をどう見るかということについて。

僕は最近、(というか今までの経緯を含めて、)社会とか世界を見る『視点』というものは、個々の立ち位置と行く手のその先の世界観によって全く異なるというイメージがまとまりつつあったのだが、ここにきて、ちょいと待てよと思うようになった。

わかりやすく言うと、
人生は個々それぞれ、自己責任において、選択の結果にある。よって他人が干渉しえるものでもないし、する必要もなく、自分自身についての範囲で考えたらいいという立ち位置が、本質的には変化はないが、

ちょっと「かくあるべし」的な自分の主張を持つということにおいて、意見発信をしていくことが付加されていきているという感じだ。


僕は、基本的にサラリーマン家庭に育った。が、両親とも家系は政治家、教育者、経営者の家系。
そこには、ドラマによくあるようないろいろな出来事があって、幼少の頃の僕は、

政治家ってきたないことする

教育って、窮屈でつまらない

経営とかお金は人間関係を破壊する

というのを見て、
そしてその家系に育った両親は、それぞれに、その反作用で
普通のサラリーマン家庭に、普通の幸せを求めて、両親二人はふるさとをあとにして
両方の親戚連中のいない関西にやってきた。

父親はサラリーマンというものに誇りと情熱を持っていたが、いわゆる大手企業につとめて、単身赴任で全国をまわり、僕は幼い頃には、久しぶりに家庭に帰ってくる父親に向かって、「おとうさん、また来てね!」と言っていたらしい。

そんな父親は文字通りカラダを張って僕らを育ててくれていたが、中学、高校と、自分の将来的な仕事を考えるときに、僕の幼いココロは、サラリーマンをも否定していて、

親族たちの仕事にはつかない=政治、教育、経営はしない
父親のように=サラリーマンで単身赴任をするようなこともしない

という否定的なポリシーで、高校を本当に世間をなめきって過ごす。

とはいえ、例えばでは世界旅行に出かけていって、作家になる!とか、冒険家になるとか、あるいは世捨て人になって生きていくというようなエネルギーもなく、中途半端に漂っていたのが実情。

そこから、20代、30代は、悪戦苦闘と模索の人生を歩むことになるが、
つまり、ようやく42歳になって、ちょっと「かくあるべし」ちゃうんかなというものがようやく見えかけてきているというお話。

僕は社会には、2つのカテゴリーがあると思っているところがあって、それは先に書いた家系の環境も、そして販売促進や商品企画という仕事経験も影響していると思うのだが、
1つ目のカテゴリーは、表の社会。
2つ目のカテゴリーは、その表に至るまでの、事実上水面下で行われている社会。

これはすべての物事には裏がある!とかいう極端な弾劾主義ではなくて、

例えば「商品企画」というものは、事実上水面下で行われている活動で、競合もある訳なので、開発中は公表されることは少ない。販売促進も、例えば、夏の企画は、冬からはじめていて、それが広告として表に出るまでに、いろいろと協議したり、企画をしたり、取引契約をしたりということが、これも水面下で行われている。

ものごとはその水面下で行われてることにいろんな意味や試行錯誤があって、公表されることは、つまり「こう公表していこう」と意図されたものであることが多いということが、当たり前の環境にいた。

よく最近こう聞かれる。
「これからどうなると思いますか?」「こんな記事を見ましたが」

僕は公表されているそのままの文字ではなくて、そこから「読み取るもの」が重要だと考えている。
公表している「こと」と「していないこと」の間に事実がある。

商品開発を例にとると、公表することを考えるときに一番最初にする作業は、それは「何を公表しないか」ということだ。何を公表しないかという方針が決まってから、報道リリースを作成する。

だから僕は長年新聞を購読していないし、テレビのニュースもあまり見ない。
ネットで情報としては捉えているが、いつも

「こう報道しているということは?」という発想だ。
そして報道されている源(ニュースソース)はどこかという検証。

これも重要だと捉えている。

笑い話があって、
ある商品開発の時に新興の企業と提携をするかどうかを調べるテーマがあり、担当の人が僕に資料を持ってきた。
その報告書は40ページにわたり、無作為にその企業とそのビジネスの評判がプリントアウトされてきて、
報告書の答えは「評判悪し!提携には反対」で締めくくられていた。

僕はその報告書を見て、爆笑してしまった。

悪い評判と書かれたものの「出所」が、匿名であったり、あるいは、全く運営者のわからないホームページからの引用であったりして、ひとことこう言って突き返した。
「情報源が、爆笑やわ」

それを聞いて、彼女はこう返してきた。
「悪い評判だから、情報源を伏せていると思います!」

「なるほど、なるほど。じゃああなたが一流企業と思う、もしくは信頼出来る企業と思うものを同じ方法で調査してみてください」と言った。

そして1週間後、彼女はこういってきた。
「日本の企業は悪い評判ばかりで、まったく金儲け主義の固まりですね!」

おやまあ。

僕が言っているのは、情報源の問題なんだよと、とくとくと説明した。

インターネットの情報は、すべて
つまり、なにもかもすべてが公表されている訳ではない。
しかも情報源を選択するということ、その能力は、実際の「情報の作られ方」を知らないと選択しにくい。

遠回りのようだが、その彼女に、世の中は2つのカテゴリーがあってという説明をした。
広告宣伝もそう。報道もそう。だから情報源の特定と、公表されていることと公表されていないことの検証が必要であることなどの諸々を説明をして、
さらに、今回の提携についての目的を明確化して、その情報を調査するようにと言った。

この場合は提携が目的で、商品の特許が課題だったから、まずは特許出願の有無を調べていくのが正解。そして次に特許の申請がなされているか、申請はなされているが拒否されているか否かなどの詳細に入り、次に研究のための補助金申請がなされているか。そして研究に連携の大学や研究機関があるか否か、などのいわゆるオフィシャルな情報の有無からスタートとしたが、

本来、考えたらわかる。

まずオフィシャル。そして決算情報や登記情報。社長の経歴、社歴。過去数年間の決算数値。業界内の位置。売上順位。利益。株式のもたれ方。取引先銀行。
そしてそのから推測される連携、系列、取引先情報。次に公表されていないものの推定。


ちょっと長くなったので分割するが、
情報を元にいろいろと判断をしていく場合。その情報源と情報の作られ方から推測したら、結構分かりやすく解析が出来る。何が課題で、何が有効なのか。

あとはその制約条件、人、もの、かね、期限というところで、企業活動が進むという次第。
情報の質と言えばそれまでだが、見方とか何を比較するかという能力は、
これから教育していかないといけない項目なのかもしれない。

エネルギーバランスを見る。俯瞰するということに繋がるんだけど。

この情報は何故無料か?どこに経費をまかなうモデルがあるのか?影響力はどのようなパワーバランスなのか?

把握すると分かりやすいものなんだけど。

トヨタなんて、広告経費がナンバーワンなんだから、メディアや報道で「事実」が分かると考えるほうが、どうかしているんですけどね。大きなスポンサーだし、トヨタで食べているのは、車を作っている人だけではありませんから。
トヨタの出すおかねで食べてるところが、トヨタのネガティブなものを公表するでしょうかね。しない方向にエネルギーがかかること位は小学生でもわかります。

僕はトヨタは決してイメージのいい企業ではなく、「イメージ戦略の上手い企業」であって、車つくりに信頼感があったのではなく「車づくりに信頼感のあるというイメージ」づくりが上手であっただけなんだなあ。

それが日本を代表する企業になっているんだから面白いですね。
JALもですが。


情報源を明確に把握して俯瞰するということについては、いろいろとまとめたいなあと思います。

久しぶりに長くなったなあ。

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