何かを残しておきたいという欲求は、
ジブンが何者なのかという問いに繋がっている。
ジブンが何者であるかという問いは、
何をしたいのかという問いに繋がる。
予感めいたものがある。
それは今まで生きている何か、そのプロセスの何か、そしてその影響力とその反作用の螺旋の中に
一つの流れが生じて生きている感覚。
これまでジブンの人生は、何種類かのシーズンに別れていて、
分断された中における、それぞれのエピソードが
その影響力と反作用の組み合わせの中で、
何かの欲求に繋がっているのだと思い込んでいた。
この3月に感じる風は、ちょうど20代の後半に感じていた感覚に似ている。
これからどこに向かうのか?という漠然とした不安と期待の風。
30代は大きく舵を切って、それまでの20代の影響力と反作用の中で
そのシーズンが作られていたと思っていたが、
実は一つの大きな流れの中で
ひとつのプロセスが進行していたのではないかという感覚だ。
何種類もの体験を重ねてきているのではなく、
大きな一つのプロセスの体験を経ているということかもしれない。
実に抽象的なことを書いている。
これは抽象度が高いということではなくて、いまだ予感めいたものにとどまっているために
ことばが抽象的になっているということだ。
予感めいたもの。
振り返ると、変化めいたものはこの春先からGWまでに生じる。
淡い期待と、変化の風のようなもの。
ジブンが生きて来た「証」のようなものが
積み立てられて表現されるとしたら、
ジブンが生きていた、つまり思い描いて来たものが、
積み立てられているとして、それが一つの大きな流れに集約されてくるとしたら、
それは結局、その集約のプレセス自体が「生きる」ということになるのかも知れない。
とにもかくにも、
3月は非常に、(一年のうちでも最大の)仕事的にも、今後の方向性的にも
そして作業の量的にも山場を迎えている。
作業としての精度もさることながら、
作業を通じてのプロセスのうち、
いろいろな取捨選択と、その大きな集約の中に、
今後の方向性が見えてくることがあると思われる。
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