2009年10月27日火曜日

ブログを書くという行為

ブログを書くという行為について長らく僕は、肯定的でありながら否定的でもあった。

自分を記録するということに熱中するシーズンが来ると、ブログが更新されていない時期が非常に不快に感じてしまって、次々と更新すること自体が目標になって、中身が希薄になっていく。そしてご多分に漏れず、ブログの更新がちょっと途絶えると、嫌になって、つまり飽きてしまう。これは何かのテーマを深く追求している訳でなく、そしてブログを楽しみにしてくれている多くの読者が存在する訳でもないということが背景にあるのかもしれない。

ブログに書いて記録に残すことの意味を見いだせないでいて、個人的な日記ならば、webでなくとも、紙のノートの上に書かれていればいいじゃないかということ。

そしてブログに書くことによって、万が一、万が一の万が一、誰かの読者がいて、読んだときのイメージを妄想の中において、意識してしまうからだ。意識してしまうと文章が「よそ行き」になる。自分の思いを文字にしたとき、その文字の持つ意味合いや影響力についてイメージが膨らむことはなく、全く面白みがなくなることがよくあった。

もうひとつが文字の力の限界というか、そんなものを感じることがあった。文字に力があった時代。本が唯一の世界との扉であった時代にはたくさんの名作が残されたと思う。これはラジオが登場してからもしばらく続いたのだと思う。そしてテレビが登場し、やがてインターネットができて、情報が爆発的に世界に溢れた。動画も力を持ってきた。こんな中、特に詩の力が相対的に(絶対的ではなく、相対的に)落ちてきたのではないかと、全くいい加減ながら自己勝手に感想を持った。

僕は世代でいうとバブル世代だ。
そして全くのテレビ世代の第1層である。本を読もうという傾向は少なく、図書館はどちらかというと「暗い」マイナーなもののイメージだった。比較的活発で目立つ生徒だった僕は、毎日必ず図書館に通った。先生からは「珍しいわね、あなたのようなタイプの人が本が好きなのは」と言われて、忙しい部活の合間をぬって通った。ほぼ図書館の蔵書は手にとった。何かに追われるように本を読んだために、熟読というよりは速読だったから、特に印象に残る文章をひろうこともなく、とにかく本を、早く読了することを目標にして読んだ。同時に放送部だった僕は、活字よりもラジオドラマやビデオ編集に傾倒していくことになり、活字の世界は、前時代のものというイメージも合わせてもっていく。


僕は今までの人生で、たくさんの人々に迷惑をかけた。
ある哲学によれば、迷惑をかけない人なんてものは誰一人として存在せず、
それを意識しているか、無意識かを問わず、誰かしらの罪を抱えているから、それを懺悔せよ。という具合になる。
僕の自意識が、その罪と罰に過敏に反応をはじめ、ブログという得体の知れないネット上のスペースに自分のプライベートななにかしらの文章が電気的に記録されていくということに対して、自己保身のようなものが意識されだす。

そこでしばらく続けているブログが更新中断となっていく。

僕は文章を書くという行為について、非常に偏ったものを持っている。
先に書いたように、図書館に通いながらも、活字の限界を意識していたのだが、困ったことに
高校時代には、勝手に自分で作った冊子をこしらえて、自分で文章を書き、自分でコピーをし、自分で数ページの冊子組にのりとステープラーで制作をして、求めてもいない友人に強制的に配布をしたりしていた。都合8冊も作った。完全なる自己満足の世界。

その後、僕は人生の壊れ物と認識するようになって、創作活動、つまり自己表現を否定的にブレーキをかける。

僕の存在や経済的、人間的なものに自信を喪失し、人間不信に陥り、はては自分自身についても、自己不振に陥った。ながらくその傾向がココロの底辺に存在して、表面的に顔を出したり、背後にしっかりと控えていたりした。

今年も、何度かそのようなシーズンがあった。

と、同時に、

何度も繰り返す自己批判や自己憐憫にも、いい加減飽きて来た感も出てきた。
もうい加減にしよか?

何かの目標を目指すときに必要なものは、
自分を信じること、とたくさんの著作やセミナーで耳にする。

知識としてはずいぶん前から、そういうものだと認識をしている。
いろんな仕事を通じて、いろんな局面からそんな話や体験を知っている。

知ってはいるが、なかなか自分にとって、それを「導入」することができないでいた。
正確には「導入」することがあるが、続かなかった。

で、ブログを書く行為についてであるが、
まさにこの文章のように、自分自身にとっての自分の存在の確認作業としてのブログをと
書き始めた訳である。

僕は長らく、夢想していることがあった。作家になってみたいなということだ。

これは非常に表面的なことであった。
人生の後半には、その作家の夢を実現させるのです!
遅咲きの作家になるのです!と友人たちにも宣言をしていた。

このところ人生を終えた人が相次いだ。
人生には自覚できる賞味期限がない。
いつ死んでしまうかは自覚できない(ことが多い)、明日の人生は誰にも保証はされていない。

それともう一つ。
何故作家になりたいと思ったのか?ということだ。


作家になりたいんですと言うと多くの人がそうなんですね。と返してくれる。
昔とは環境が異なってきたを実感する。作家で食えるとは非常にギャンブルなことで通常の神経ではないと思われていた。


高校生のときに文集で、大人になったら?というテーマのひと言ページがあった。
僕は「このじいさん一体何者?という不思議なおじさんになりたい」と書いていた。
それを見た先生が、「ところで何の職業をやりたいのか?」と聞いてきた。
僕はしばらく黙り込んで、「作家かな」と言った。
先生は「それなら文学部やな」と進路指導を開始した。

僕はあわてて、文学部に行くと作家になれるのかと聞いた。
先生はひと言こういった「作家で食える訳がない。文章に興味があるなら文学部やなということやんか。君は進路が明確でない。英語を選択したり、社会福祉学部と言ったり、法学部と言ったり全く定まらない。だから一番興味のあることにしなさい」

僕はその後の進路指導には全く興味をしめさない人になった。

僕が作家になりたかった理由。


それは自分が生きた存在理由を残せると思ったからだ。
だから作家になって食えるかどうかには全く関心がなかった。食えるかどうかではなく、存在を客観的なもの、物質的なもので残せるかが重要だった訳である。さらに、作家というものについてのイメージが良かった。自由そうだ。取材とかでホテルや世界のいろんな所に行けそうだ(むろん売れる作家でないとそんな境遇はもたらせないことなどは無視している)

だから作家になりたいと夢想していたのだ。

作家になるべく文章を書きためて、公募に応募するわけでなく、自分で冊子を作って自己満足に浸れたわけである。
作家になりたいのではなく、本を残したい、存在を残したいと思っていた訳だから。

それから僕はサラリーマンにはなりたくなかった。
特に大手企業のサラリーマンにはなりたくなかった。
父親が大手企業の戦士で、いつも全国を転勤していたからだ。
(父親には非常に感謝していることが多いから、父親を否定しているのではなく、職業として選択肢に入らなかったということだ)

自らのぞんで、小さな店の従業員になった。
そのときの父親の懸念はひと言「見る世界が小さくなることが懸念されるの」でだった。


そこから紆余曲折を経て、現在。
僕は小さなSOHOと自分でビジネスを立ち上げている。

あまり上手くはいっていないが、自分で選択したことであるという自覚はある。

で、ブログを書く行為に戻ってきた。
このブログはある意味自分に対しての宣言に近いものがある。

誰にもこのブログURLを告知はしていない。が、しばらくこうして思いを書きためていこうと思っている。

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