さて、何やら頭が回転してきたので、今日も2つ目の投稿。
先ほどの投稿を終えてふと思ったことがある。
前々回の個の発展と、前回のイメージ(残像)のアップデートについてである。
アップデートが重要なのは分かりやすいが、そのアップデートを「どの情報を元に」したらいいのでしょうか?ということだ。
これは非常に難問かもしれない。
インターネットで情報が溢れて、自分にお好みの「検索」をかけていけば情報がランキング表示されるが、ランキング表示の情報の上位が本当に自分のアップデートしたい情報なのかどうかは、何を物差しにして判断したらいいのだ?一体。
ここには前回批判的にコメントしたマスの情報というものが、過去には一定の役割を果たしていると思われる。
わかりやすくするために情報を「セルフチョイス(自ら選択するもの)」と「強制的に飛び込む情報」に分けて考えたい。
マスの、例えばテレビ番組なんかは、強制的に飛び込んでくる情報である。
強制的に飛び込んでくる情報ということは、自分の器の外側、つまり自分の興味の外側にある情報も、飛び込んで来てくれるというメリットがある。
世の中のコトをいろいろと知っているような、広い見識と深い懐を持ち合わせていて、しっかりとした「物差し」が自分の中に確立していたら、情報の取捨選択は比較的簡単だ。
問題は僕のように、自分の興味や知っている見識範囲が「狭い」時に生じる。
これを名付けて「器の小さい自分」としよう。
器の小さい自分が、自分の範囲で情報を選択していくと、非常に偏向した(偏った)情報の中に存在することになる。
これ、今のインターネット情報の洪水で溺れている人々(僕もその一人)という図が出来上がる。
自分の興味の外側にある「面白い」情報とどうやって出会えばいいのだろうか?
インターネットで「検索」をする時に適切な検索キーワードを打ち込めるためには、事前にそれらの情報の元になりうる検索語の知識が必要になる。では全く縁もゆかりもない情報を検索するときには、何と打ち込むの??
例えば、youtubeで「何か面白そうなネタになる動画はないかしら?」と思ったとする。
これだけでは何も検索できやしない。
仮に「面白動画」と打ち込んだところで、面白動画と自らタイトルをつけられた動画は表示されるが、それが僕が面白いと感じる保証はない訳で。
ここに一つ「強制的な情報」「自分の興味の外側の情報」をもたらしてくれるモノが非常に重要ということになる。
つまり、情報は人に帰属して存在している訳だから、ズバリ「人」の関係性ということになる。
人脈の有無、あるいは人脈の「質」ということだ。
それをキャッチ出来る好奇心の養成というテーマが
これからの教育の基本の一つになりうる。
情報リテラシー(情報能力)がこれからの時代に必要だと言われて、インターネットの活用術なる書籍も売上好調らしいが、情報=インターネットと組み立てるのは素早計で、結局は人の持ち方というコトになる。
自分の興味の外側の情報を、しかも信頼できる情報あるいは、自分が面白いと感じる情報をもたらしてくれる人を持つことの幸せを、広くしらしめることが必要かもしれない。
昔テレビ番組で、世の中のいろいろな情報を獲得できた時代。
昔ラジオ番組で、ヒット曲を知ることでヒット曲が育成された時代。
昔映画で、ファッションのかけらを、知らなかった世の中を知ることが出来た時代。
強制的に飛び込んでくる情報と、自分のモノさしで取捨選択する情報を
これからどのようにあつかっていくべきかの問題提起も、実に幅広い問題を内包しているようだ。
ということで、今日はこれまでといたしましょう。
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