2010年1月26日火曜日

ヒント

こんなイメージは高校の頃からあった。

歴史をどんな目線で捉えるかということは、いろんな立場と議論がある。歴史は通常為政者側から語られるから、人民にとって歴史は、教科書ほど事件は存在しておらず、よく似た毎日の繰り返しで、今日に至っても人間は「毎日の生活」という視点から見て、そんなに進化していないという見方も一つ。

また経済制度の歴史としてみると、結局のところ、支配と非支配の関係制(それは人単位でも、国単位でも)とその交易での損得勘定という枠があるだけで、プレーヤーは変われど、これも今日に至ってまだそんなに人間は進化していないという見方。


高校の時にイメージした見方は、人間は、「個人の解放」に向けて進化していて、進化論としての歴史の見方のほうがおもしろいだろうになあということだ。
集団、支配、非支配から、個の解放に向けての歴史としての例は、たくさんある。
最初はリーダーが一定の集団を支配して、その集団に「帰属」することによって個の生存も担保されたという歴史が続く。
都市国家の誕生から、プレーヤーは変化していくが基本的に集団の支配者側と被支配者側で、結局お互いが依存関係を結んで生存を担保してきた。これは戦後もしばらく同じ枠の中にあり、その枠の中で、体制を選択するということが続く。

しかし、人間の進化は亀の歩みのように少しずつではあっても、個の解放に向かって出来事を広げてきた。

分かりやすくするために、戦後の時間に区切って考えてみよう。
例えば、テレビは、街に数台から始まって、各家に一台になり、そして各部屋に一台になって、今や携帯でテレビは完全に個人の領域に組み込まれて来た。例えばヒット曲は、街に流れる大ヒット曲から、どんどんジャンルが細分化されて(そのジャンルの対象は集団、年代から個へ分割されていく)今や日本国民がみんな知っているようなヒット曲は出にくい時代になった。個々が好きな曲を直接ダウンロードする訳なので、もはやヒット曲が必要でない状況になったのだ。

車も家電もそう。すべてが個に向かって発展してきている。
一家に一台から、各部屋に一台、そして各自に一台。

当たり前に見えるが、これを歴史に引き延ばした時間軸で見るとこんな時代はきっと今まで無かった。


「個の発展」という視点が、進化を意味するかどうかという議論は、次の機会にゆずるとして、
平たく言えば、個では生きていけないほどの自然条件から集団組織を作り、リーダーが出てきて支配、非支配の組織が出来、長い歴史を経て、個の解放を獲得しながら、個の水平統合へ向かって、個の力が強まってくるという感じのもの。


そして社会に出てから、「組織論」を学んだとき、この高校のときの理論が、いろいろな実感をともなってよみがえってきて、そのまま引きずりながら時を経ている。組織論はモチベーション論と同じ定義をしてよく、個がいかにして「やる気」を継続させて発展してくことが出来るかというテーマを扱う。元々は軍事理論であり、翻訳すると「どんな組織体系にしたら、みんな頑張って戦うか」という理論の発展である。


学んでみた時に(自分の理解力の限界を棚に上げて)組織論だけで、継続的に人が頑張る体系を作りあげることは出来ないという結論を得た。ある組織体系を立ち上げ、そのモチベーションを絶えず与え続けるには、その組織体系を変化させていかないといけない。つまり組織を作るということは「組織を壊す」ということと同じことになり、いかに上手く「壊す」かという技術について述べていくことになる。

おお。

これは私たちのからだの 細胞分裂と新陳代謝の形式に非常に似ている。

生きていくために、細胞単体で見ると「どんどん壊していく」「どんどん作り上げる」という新陳代謝が必要なんだな。

組織論はいくつかのステップに従って、
例えば「立ち上げ」「成長」「成熟」「衰退」のそれぞれのシーズンで作り上げる形が異なる。

さて、この2つのこと

個の発展に向かっている歴史



組織論の究極的な姿の新陳代謝。

これが、今年のキーワードになる。

個の発展に向かっている歴史という観点は、例えば、集団での目標を達成するために個を犠牲にするというシーズンを終えて、(集団での目標達成に関わることで個の生存理由も満たされるというシーズン)

個の覚醒に向かっていて、個の覚醒というと難しければ、個の自立ということと捉えてもいい。
今から50年前には、確実に集団の中での個というものがテーマであった時代。

そして歴史という流れというか進化というものがあって、
シーズンがステップを重ねて生育すると見たとき、次のシーズンは今から始まる個の自立というシーズン。
個があって、集団があるという形は、振り返ると歴史でそんなシーズンはまだ体験していない。

個が存在してはじめて集団としての機能がはかられるということは
宇宙の成り立ちにも似て、壮大な実験のようなものになるのかもしれない。

集団を機能させる個ではなく、個が自立して、さらに集団化することで機能を拡大させていくという組織のあり方は、組織論にはない(軍事から始まった組織論に元々「個」の概念が希薄であるということもあるが)


さて、これはいろいろと研究する価値のあるテーマにぶつかったかもしれない。
「個の解放、発展と組織論」の一つの形が見えてくるのは、もうしばらくかかりそうだが、

ここには個人が世界中の情報を持てるようになったという「インターネット」という革命を見逃す訳にはいかない。

僕は妄想を抱えながらこう思う。

このインターネットの革命は、これからもしかしたら人間自体を進化させていく可能性があるんでないかと。

個の解放と発展を得た人類は、もしかしたら、今までの既成概念を壊して、次のシーズンに発展していくのではないか。。。

ここから先はニューエイジ主義の妄想か、はたまたSFの読み過ぎか、あるいは未来の黙示録か。。。

人類は新しい能力を持つに至る可能性があるかも。
それはきっと、今までの意識の壁を壊したような、意思としての情報獲得の方法かもしれないなあ。

神経ニューロンの仕組みをまねて、生体組織を使ったコンピューターの試作機が動き出した。
人の脳波をキャッチするマシンがすでに量産可能な技術になっている。

この進化は、進化なのか破壊への序曲なのか?

進化と新陳代謝。。。組織論でいうリニューアルシーズン。組織を延命させるためには組織の一部を破壊しなければならないとする理論。


今年の研究裏テーマになる予感。(僕は研究員ではないけれど)

何かおもろい「見立て」が出来るんじゃないかなと。


ここまでお読みになって、お気づきの方がいるかもしれないけれど、
ここに書いた内容は、僕の執筆活動のテーマの卵なので、うっかり転送や引用などなさらないように>あしからず。

とまあ、何となくアイディアのヒントのようなもの。書いておきました。

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